はるかのインド体験~何も変わらない、でもやっぱり何かが変わる~

はるかのインド体験~何も変わらない、でもやっぱり何かが変わる~20歳で単身インドに乗り込み半年間インドのサンタナゲストハウスでボランティアスタッフとして大活躍してくれたはるかちゃん。なぜ彼女はインド滞在を選んだのか、そしてそこで何が起こったのか。

インド来る前の経緯

調理師学校

高校卒業して調理師の専門学校に通った。将来飲食の仕事をしたくての選択だった。授業は面白かったが、1つ悩みがあった。周りの友達は、将来パティシエになりたいとか、イタリアンのシェフになりたいという明確な目標「やりたいこと」を持っていた。そしてそのために真剣に取り組んでいた。自分には明確な目標がなかった。

「仲の良い友達が熱くて、それに対して自分はざっくりしてて、でもどこをどう頑張っていいかわからなかった。中途半端な自分がいてもいいのだろうか・・・。」

そう悩んでいた。

このままではだめだと思い、休学することにした。それを伝えると友達からは
「はるかっぽいね。」と言われた。

専門学校に1年間通っても明確な「やりたいこと」は見つからなかった。悩んだ末に辞めるのではなく、一旦休学することにした。休学してからは高校生の時から続けていた焼肉屋のバイトを増やした。そして、お金を貯めて語学留学することにした。

「英語が話せれば選択肢が広がるだろう。」

そう思い4カ月のフィリピン留学。現地では日本人とは会わない様にして頑張った。0からのスタートで、ともあれ一人旅には困らないくらいの英語力はつけられた。ただ、何か「やりたいこと」がみつかったわけではなかった。

日本に帰り、とりあえず焼肉屋のアルバイトを再開。その頃、フラフラしてる自分に愛想を尽かされ、付き合っていた彼氏に振られてしまった。

初めてのインド

ガンジス河

傷心旅行として選んだのがインドだった。

「刺激が欲しかった。人生観が変わると聞いてそれを期待した。何か変わりたかった。インドに行けば何か見つかるんじゃないかと思った。」

小学生くらいからテレビで見たことあったインド。ガンジス川で沐浴するインドに人達を見て衝撃を受けていた。反対されるのがわかっていたから、渡印直前になって両親に話した。

来てみたら実際に刺激と衝撃をうけまくった。最初はインド人誰も信じられなかった。

日本でキレたことなどない温厚なはるかちゃんが、旅行代理店に連れまわすオートリクシャーの男にぶちぎれたこともあった。

「なんなのー!ふざけんなよ!!」

2015年ラタ・ヤットラに参加

2015年の7月にサンタナプリーも訪れた。ラタ・ヤットラという祭りがあったからだ。そこでその後日本でも再会する人たちで出会うことになった。お祭りでも思いっきりはしゃいだ。楽しかった。そしてあっという間の3週間を終え帰国した。

「でも、人生観が変わるわけではなかった。そんなに簡単じゃないと思った。」

確かに楽しくはあった。でも、一度インドに行ったからといって何かが変わったわけではなかった。

ニート生活から2度目のインドへ

バラナシサンタナで他のスタッフやお客さんと

3週間のインドから帰ったら何もする気がなくなってしまった。インドに期待しすぎていたのだ。インドに行けば変れる、インドに行けば「やりたいこと」もみつかると思っていた。だからインドに行く前にバイトもやめてしまっていた。インドから戻ったらその「やりたいこと」のために動いているはずだったから。

盛大に送別会をやってくれたバイト先にもう一度行くこともできなかった。にっちもさっちもならないと感じていた。新しいバイトを探そうとも思えなかった。実家でネットサーフィンばかりして、たまに友達と会う日々。いわゆるニート。

親からは「しっかりしなさいよ」と言われた。そんなこと言われなくても誰よりもわかっていた。転機が訪れたのは9月末のナマステ・インディア。インドで出会った人に誘われて行ってみた。見覚えのあるインドのご飯や品物や音楽。そしてインドで出会った人たちに再会した。サンタナのスタッフたちとも再会した。その時サンタナゲストハウスのオーナーであるフォクナにこう聞かれた。

「あんた今何してるー?」
はるかちゃんは素直にこう答えた。
「何もしてなーい。」
フォクナはすぐにこう言った。
「じゃあ、インド来たらいいじゃなーい!?」

「じゃ、行こっかな。」
二つ返事で、二度目のインド訪問が決まった。

サンタナのスタッフとして片道の航空券代は出してもらった。でもそれだけじゃ足りない。はるかちゃんはバイトを始めた。ラーメン屋だった。

「ちゃんとするために働くことはできなかったけど、インドに行くためと思ったら働けた。」

スタッフとしてまたインドに行こうと決めた理由としては、その閉ざされた環境をガランと変える為。そして前回3週間滞在しただけではインドの事を表面上くらいしか知る事ができなかったので、半年間滞在してインドの事をもっと知りたい!という気持ちからだった。働く事で、旅行者とは違う視点でインドの事を見れるだろうとも思った。

サンタナゲストハウスでのスタッフ

コルカタサンタナでのお別れ会

はるかちゃんはコルカタで四カ月、バラナシで一カ月、そしてまたコルカタで一カ月のスタッフを経験した。当時、コルカタのサンタナでは朝食・夕食を日本人スタッフが作ることになっていた。専門学校での経験を活かすことができた。

そうはいっても最初は戸惑いの連続。住み込みでの勤務のため、そして一歩外出たら緊張するインドでもあるため、お客さんとも距離が近い。今までの人生でここまで初めて会った人にこれほど近い距離で接することはなかった。コミュニケーションは嫌いではないが、得意ではなかった。スタッフとして、どう接するのかも手さぐりだった。

先輩であるインド人スタッフとどう接するのかも悩んだ。自分は年下で後輩、そして女。でも、日本人として日本人への接客について自分が指示したり、決めた仕事ができてなければ伝えなければならなかったりもする。試しにと、仕事を明確に割り振ってみたら、今度はコミュニケーションがなくなってしまったこともあった。

他のスタッフの手を借り、時間が経つことでコツをつかんでいった。

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「一番うれしかったのは、バラナシに異動になったとき、お客さんが主体になって送別会をしてくれたこと。飾り付けやメッセージカードとか。それは本当に嬉しかった。」

今回半年のスタッフを終え、スリランカでビザを取りなおしてインド旅行を少ししてから日本に帰る。お客さんの話を聞いて自分でも行きたくなったからという。マナリやレー、ゴアやハンピなどを予定している。

本当はもっとサンタナのスタッフしていたいのだが、奨学金を返さないといけない事情もある。現在のサンタナゲストハウスで支給される月に5000ルピーのお小遣いでは足りないのだ。

「やりたいこと」?

キッチンで肉を切る

インドに半年いても「やりたいことと」は結局見つかっていないという。当初、課題としていたことは何も変わっていない。ただ、その捉え方が変わったのだ。「やりたいこと」が見つかっていないことは別にネガティブなことだと思わなくなっていた。

インドで多くの人達と出会いそして色々な話を聞いた。世の中に自分の知らなかった多くの職業があることを、様々な働き方があることを知った。それまでには想像もしていなかった色々な生き方を直接語ってくれる人たちとの出会いがあった。

「やりたいこと」は、これから色々チャレンジしていく中で見つかればいい、くらい思っている。

「小学校時代にガンジス川で沐浴している映像を見て、いつか行きたいとは思っていた。まさかそこで働くことになるとは思わなかった。実際に沐浴して体調崩して、やっぱりインドだった笑・・・今思うのは私の人生はこれから始まるってこと。」

最後に聞いてみた。もしニートの時の自分に何か言葉をかけるとしたら何て言いたいか、と。

「人の力は大きい。人に会った方が良いよ、ですかね。でも、その時の自分には響かないかもしれませんけどね笑」

今は自分で色々チャレンジしたいという。

「でもいつかサンタナが飲食店を始めるなら。インドでも日本ででも是非手伝いたいです。」

はるかちゃんのインドの第三章、そう遠くない将来あるかもしれない。

バラナシサンタナのレセプション
帰国も近いはるかちゃん、お疲れ様でした。これからの人生楽しみですね。