3・11東日本大震災、5年前のインド・プリーでのこと

祈る、という行為

5年前の3月11日、日本の学生と一緒にプリーの大学の前でビラ配りをしていました。翌日に控えた写真展のPR活動でした。ビラを渡したインドに人に言われて初めて震災について知りました。

最初に、教えてくれたインド人のおじさんは

「日本が大変な時にこんなことしてて大丈夫なのかー!?」

と怒るかのように伝えてくれました。

インドの人達の反応

その後も知り合いはもちろん、顔見知りのインド人、知らないインド人にもたくさん話しかけられました。

「家族は大丈夫か?」

「日本が心配だが、どんな状況だ?」

「日本のために祈ります。」

単なる好奇心からという人もいなくはなかったですが、そのほとんどの人が心から心配し祈ってくれていました。

メッセージ集め

しかしその後プリーにいる日本人スタッフや旅行者と共に、ただネットで震災の惨状を眺め、ただ無力感に打ちのめされていました。そこで有志と共にプリーにいるインド人にメッセージを書いてもらうことにしました。

集めて驚きました。多くの日本人にとってはほとんど縁のないプリーと言う町。その実、日本と何かしら関わりがあり、日本のことを心から思ってくれる人がたくさんいたからです。

 

お客さんがほとんど日本人のサンタナ・ロッジの関係者はもちろん、

日本人のボランティアを受け入れたことがある学校の先生や生徒、

日本にも支店があるマザーハウスのブラザー、

日本人の友達がいる大学生、

日本人旅行者も訪れる商店、

日本人旅行者も訪れるカフェ、

日本人旅行者も訪れる土産屋さん、

日本のことを記事にしたことがある記者、

日本に行ったことがあるアーティストや議員、

日本からの寄付で成り立っている孤児院の先生、

日本へ輸出をしている石彫家、

 

こういった方々でした。

こんな小さくて知られていないような町にもこれだけ多くの人が心からの祈りを捧げてくれました。

(メッセージ自体はこちらのブログをご覧ください。)

日本のための祈り

文章を見て頂くとわかる通り、「祈り」や「神」という文字が多く出てきます。土地柄、ヒンドゥかクリスチャンが多い場所です。対象がどうあれ、自らの神に祈ってくれていました。

例えばインドにおいてもデリーやムンバイなどの大都市であったならば、もっとずっと多くの人達が日本と何かしら直接的な関係を持っていることでしょう。

ただ、例えばプリーのような小さい町であってもこれだけの人が日本と繋がっている感覚を持っているのです。とすれば、世界全体で見た時にどれだけ多くの人達が日本を心配し、そして「祈る」という行為にでてくれたのだろうと考えていました。

参考:3・11東日本大震災−そのときインドでされていた“祈り”を知っていますか?

つながりの感覚

最近では当たり前すぎるからか、「グローバル」という文字をあまり見なくなってきました。ただ国境を越えて物事や人が行き来する中で、こうした「思い」や「祈り」というものも同時に行き来しているんでしょう。

 

復興庁のデータを見ると、5年経った今でも避難者は17万4千人いるとのことです。

震災後数カ月後に、避難先としてインドのプリーを選びスタッフになってくれた大学生がいました。今は日本で元気に働いています。5年前と比べるとサンタナもデリーやコルカタ、バラナシにもゲストハウスは拡大し、日本人が安全にインド旅行するお手伝いは以前よりできるようになりました。

それでも、改めて復旧の進まない状況や避難者の方々を考えると、何とも力不足な自分達です。

これからも、インドにおける日本人の安心拠点としてのサンタナとして、力をつけていこうと心を新たにしていきます。「思い」や「祈り」を持ってくれているインドの人がいるのです。それを何かしら具体的な形に変えていくことが私達の使命なのかもしれません。

メッセージの動画

集めたメッセージを集めた動画です。プリーにいるインドの人達の「思い」と「祈り」をご覧いただければと思います。