今のままでいいのかな、と悩むあなたへ。プリーで自分と向き合う!5つのポイント

2019年5月3日のサイクロンの災害支援のためのクラウドファンディング、【人生観が変わる海辺町】サイクロンで被災した東インド・プリーを取りもどしたい!。

企画書を作っていた際、考えれば考えるほど目的は「日本人のためのプリー支援」も大きいな、と思い浮かんでいきました。それほどプリーで人生が変わった人を多く見てきました。

プリーでまさに自分と向き合って、変化をしていった人たち。

ただ、同時に「自分との向き合い方がわかりません」なんて声も。ここらで一度、プリーでの自分との向き合い方についてまとめてみようかと。

 

なんで、自分と向き合うのか

そもそもの話です。

なんで、自分と向き合うことはそんなにも持ち上げられるのでしょうか。

何でか、自分と向き合うってことはとっても良いこととして語られます。

自分を見つめる。
自分と対話する。
自分の身体のメッセージを聞く。
自分の心の声を聞く。。。

ヨガにおいてもそうですが、こういった言葉はなぜかとっても素敵ことのように語られます。それは前提であって疑いの余地がないような。

例えば、どういった文脈で語られるとかというと。

「あの頃は自分と向き合えていた。」
「最近自分と向き合えていない。」
「日本では自分と向き合うのは難しい。」
などなど。

自分と向き合うのは良いことか!?

改めて考えてみると、こんな図式があるように思えてなりません。

自分と向き合うこと=良いこと

これはどこかしら「当たり前」になっているようです。なので、そもそもなぜ自分と向き合うことが必要なのか。わからなくなっているところもあるかもしれません。なぜ必要かを考えることなしに、良いことだと信じてしまう。思考停止になってしまっているかもしれません。

思考停止すると次はこうなってしまいます。

自分と向き合えてない自分=良くない自分

向き合えない人がいるのは、そもそも自分と向き合うってのはメッチャしんどい作業だからでしょう。そんなしんどい作業を、必要性をわからない状態でできないのはしょうがないです。そこで自分を責める必要などないのです。

まず必要なのは、なぜ自分と向き合うことが必要なのかを考えてみることかな、と。

私は端的にこんな風に考えます。

死ぬから

自分と向き合うことが必要な理由の1つは、死ぬからでしょう。

今のところ、我々の致死率は100%です。生物的には我々は必ず死にます。平均寿命は延びていて、今や83歳以上です。でも、それでも死にます。しかもそれがいつ来かもわからないというんですから。

もし永遠に生き続けられるのだとしたら、自分と向き合わなくても別に良いかもしれません。何かしたいことやありたい姿があったとしても、いつか・どこかで求めれば良いかもしれません。ずーっと生き続けるのですから。

でもそうではないので、ただ事実として寿命が尽きることを考えてみます。(プリーには火葬場もあり死を考えるのもバッチリです!)そうした時、限りある命の中で、どう生きたいのか・どうありたいのかが問われることになります。

その問いに答える時に、他者とではなくて自分との対話というものが出てくるのだと思います。

「自分の死」は自分にしか経験できないように、「自分の生」もまた自分にしか経験できないからです。

他者の人生を生きないため

ここで逆を考えてみます。自分の生、にならない生とはどんな生き方でしょうか。

それは、自分ではなくて他者のための生、というものになるかもしれません。

例えば、

・深く納得無しに人に合わせ続けること。
・空気を読んで自分らしくない行いをすること。
・幸・不幸が人や社会のせいになること。
・何だかダラダラとスマホなどをいじること。
・過去や未来のことばかり思い出すこと。
・社会的に良い、だけを追求すること。

こういう時、自分の生を生きてない感覚になります。平たく言えば、疲れちゃいます。

で、これらは全部広い意味で、他人とのコミュニケーションです。他人の思惑・思い・欲求・メッセージなどは聞いています。過去や未来の自分とはもはや他人以上の他人です。

ところで、一人でいるのが好き、という人も多くいます。でも話を聞いてみると実際は、映画やテレビを見る、音楽を聴く、本を読む、雑誌を読む、などをしていることがほとんどです。

これらは全て広い意味での他人とのコミュニケーション。何かしらのメッセージを受け取っています。他人とのコミュニケーションをし続けたら、他人が何を求めるかに意識が向いてしまうのは当然でしょう。でも、自分が何を求めるかに近づけなくなってしまいます。

私達は、他人の声だけを聞き続ける人生でなく、自分の人生を歩みたいのです。そのため、どんな生を全うしたいのかを自分に問うていく。自分がどんな生を求めるのかは、自分にしかわかりません。

つまり、自分が求める生方を問うため、自分と向き合うことが必要になるのでしょう。

自分と向き合うってどういうことなのか

死ぬから、また他者の人生を生きないために、自分と向き合うことが必要だとして。

では、自分と向き合うとはどういうことを指すのでしょうか。

他人とコミュニケーションをしちゃわない

他人とのコミュニケーション全てが自分と向き合うことにつながらない、なんてことはないでしょう。人と深い対話をすることで自分について気付く、ということは良くあります。また、コンサルタント・コーチ・メンター・カウンセラーなど、自分との向き合いのサポートは職業としても成り立つくらいです。

他にも、家族や友人とのおしゃべり、恋人との語らい、仕事でのミーティングなど、他人との必要で大切なコミュニケーションもあります。むしろ人生の素晴らしい瞬間は他人と作ることも多いでしょう。

問題なのは他人とコミュニケーションしちゃうこと。

とはいえ、無意識的に他人とコミュニケーションをしてしまうのは別です。例えば、テレビ、PC、スマホ、SNS、音楽、本・雑誌など。仕事でたらふく他人とコミュニケーションして、帰りの電車でスマホでSNSをこまめにチェックして、帰ったらyoutubeや映画三昧、朝も音楽を聞きながら仕事に向かう。。。

そりゃ自分と向き合う時間もエネルギーも残らないってもんです。

そう考えたら、まず不必要な他人との広い意味でのコミュニケーションを絶つ。そういった時間を作ること。更に言えばまずは、どれだけ他人とコミュニケーションをしちゃっているのかに気付くこと。これがまず自分と向き合う必要条件になるでしょう。

自分とのコミュニケーションの優先順位を上げる

明らかなこととして、他人とのコミュニケーションが全てを絶つとかではありません。素晴らしいテレビ番組や自らの教養になる書物、重要なことを教えてくれるネットの時間、家族や友人との温まる対話、など他人との大切なコミュニケーションはあるでしょう。

そうではなくて、何となくやってしまっているコミュニケーションを避ける、ということです。明らかに必要ないネットサーフィン、youtue、SNSのチェック、とりあえず聞く音楽、などなど。まず、どれだけ無意識のコミュニケーションをしてしまっているかに、気付くことから始まります。

気付いて本当に必要なければその時間は減らしていきます。

そうなって始めて、自分とのコミュニケーションを時間的に確保できます。自分に対して優先順位を上げるとは、そういうことです。

今までと同じ生活をしながら自分と向き合おうとするのではなく、不必要な他者との時間を減らすこと・無くしていくこと。これが自分と向き合う必要な条件になります。(インドにはまだまだ停電・ネットの不通があります。そんな時は自分と向き合うチャンス!)

孤独の時間を持つ

不必要な他者との時間を減らして確保した自分の時間。どっぷり一人になってみる。具体的な方法論はさておき、ただただ自分のためだけの時間を味わいます。

やっぱり知りたいのは他者の前に、自分のホンネです。

・本当はどうありたいのか。
・心のそこで感じているのはどんな気持ちなのか。
・何が実際は嫌なのか。

こういった大切な問いは、自分の中にしか答えはないでしょう。

特別なコミュニケーションを除けば、自分の中の答えに近づくためには孤独になる必要があります。孤独でなければ、内奥の声は聴こえては来ないのです。

どうやって、自分と向き合うのか

と、ここまで自分と向き合うことについて、「WHY(なぜ)」と「WHAT(何)」を考えてみました。

ここから具体的に、特にプリーで「HOW(どうやって)」「WHEN(いつ)」自分と向かうのかを、紹介します。

ただただ一人になる

あまり、どうやって過ごすかを考えずにただただ一人になってみる。まずは、自分のためだけの時間を確保します。その時に何をしたいのか・どこにいたいのか、を自分の身体や心に問うてみるような過ごし方です。

自分の思いを書いてみる

今自分が何を感じているのか、どうありたいのかを書くことによって見える化します。何だかモヤモヤしている気持ちを「書く」という方法を持って整理していきます。

誰に見せるわけでないので、感じていることはともあれまずは書いてみます。考える必要があるなら、それから考えたらいいのです。ともあれ書く、という方法です。

ヨガに参加する

ヨガも本来は自分を知る技術です。

アーサナ(ポーズ)で自分の身体とのコミュニケーション。
呼吸法で身体と心のコミュニケーション。
瞑想でただただ自分の心とのコミュニケーション。

硬い・柔らかい、ポーズが取れる・取れないということは、他人の存在を無意識に感じてしまっているものです。そうではなく、ただ自分の時間としてのヨガへの挑戦です。

読書する

エンターテイメントになるような書物は選びません。自らの内奥にぐいぐい引き込んでくれるような類のものです。書物とじっくり過ごすのも自分と向き合うのにはもってこいです。

お勧め本を挙げるのは少し難しいです。好きなジャンルやテーマ、難易度などによって変わってきます。個人的にヨガ本ソムリエを目指しているので、ヨガに興味ある方にはお勧めできるかもしれません。

歩く

哲学者のカントや西田幾多郎が歩くことで思索を深めたのは有名な話です。プリーは空が広く、海もただ続いています。大自然の中をただ歩く。自分と向き合うには持って来いです。

どこで、自分と向き合うのか

さて、ではどこで自分と向き合うのがいいのでしょうか。プリーには自分と向き合う恰好の場所があちらこちらにあります。

Wood Stock

海辺沿いのカフェ。遠くに海が臨む最高のロケーション。ここはまだ穴場なので、時間によっては独り占めできます。お勧めの時間帯は朝。夕方は時に旅人で賑わいます。

誰もいない朝に清清しい空気とうまいアイスコーヒー。自分と向き合うにはもってこいです。

Honey Bee

お洒落で落ち着いていてご飯もおいしい。そしてエアコンが効いているのも嬉しい場所。静かに読書するなどは最高です。

お勧めの時間帯は実は朝と夜。自分と向き合うためなら、お昼時や夕飯時を避けモーニングや夕飯後くらいがお勧め。

ビーチ

プリーと言えばビーチ。好みの場所を探して海を眺めながら自分と向き合うのも手。チャイくらいを出してくれるインド版海の家などもあるのでチャイを片手にってのもよいでしょう。

お勧めの時間帯は暑い時間を避けた朝か夕方でしょう。

お散歩コース

プリーには地元の人が散歩したりジョギングするためのお散歩コースや公園もあります。プリーは建物が高くないので空が広い。どでかい空を眺めながら、内省し歩く。これまたプリーの醍醐味です。

お勧めの時間帯はこれまた暑い時間を避けた朝か夕方でしょう。

屋上

これはプリーに限らず南アジア一帯かもしれませんが、ともあれほとんどのホテルに屋上スペースがあります。これが最高です。プリーの場合は多くの宿から海も見渡せるのがこれまたよし!屋上のスペースで、ただ一人で過ごす、ヨガをする、などもお勧めです。

お勧めの時間帯は早朝や夕方、夜など。

いつ、自分と向き合うのか

最後にいつ、自分と向き合うのかについて少しだけ考えてみます。

いつ、自分と向き合うのか。理想はいつも・いつまでもでしょう。

自分の真意はいつだって聞いておきたいものです。

でもそれは中々難しい。毎瞬間自分と対話できている状況になるまでは長い道のりになるでしょう。まずは、一度ゆーっくりそういう時間を取り、習慣にするのがいいのではないでしょうか。

自分と向き合う時間を取るのに持って来いなのは!

もちろんここ、プリーです。

と、いうことで改めて是非一度プリーへ~。

それはきっと「今!」かもしれません!

ダディピッグ、ありがとう!

 

ちなみにクラウドファンディングは今から2時間弱。クラファンのリターンでプリーに行きたかった!という方、まだギリ間に合います!

【人生観が変わる海辺町】サイクロンで被災した東インド・プリーを取りもどしたい!