【インド旅行者必見】デリーの観光地をまとめて紹介!

今回は”デリーの観光”について書きたいと思います。

まず、デリーの観光について書きたいと思ったきっかけは、インドに2週間ほど滞在していた中で、一つ疑問に思うことがあったことにあります。それは、インドを旅するなかで出会った旅仲間達が、ゴールデントライアングルの一つであるデリーについて、”観光できる場所がどこにもない”、”デリーはいいからタージマハルだけで充分だ”ということを口を揃えて言うことです。

そこで、デリーに1週間滞在していた者として、自分の目でデリーをじっくり観て廻ってやろうじゃないか!と思い、デリー市内を真面目に観光してみることにしました。デリーを廻っていく中で、デリー独自の魅力に気づき、多くの人に知ってもらって実際に観光してほしいという想いから、今回デリー観光について書くことにしました!本記事では、デリーの魅力と観光ルート・観光地など、デリー観光について存分にレポートします〜!

ズバリ!デリーの魅力とは!?

はじめにデリーの魅力をサクッと紹介!私の考えるデリーの魅力は二つあります!

①歴史的、文化的価値のある建物が多い!

デリーはなんと首都として800年以上もの歴史を誇り(日本において東京が中心地となったのは400年前)、古来から中心地として栄えてきました!

12・13世紀に建てられた建築物から、インドの黄金時代とも言われるムガル王朝時代、イギリス統治時代にできた建築物など、様々な時代の建物が市内に多く残っております。デリー観光では、そうした貴重な遺産を廻りながら、奥ゆかしいデリーの魅力に触れることができます!

②二つの顔を併せ持つ!

デリーには近代的なニューデリーと伝統的なオールドデリーの二つの地域があります。

ニューデリーは20世紀前半のイギリス統治時代に中心市街地として開発が進んできました。そのため、官公庁や外資系会社のビルが建ち並ぶなど活気に溢れています。一方で、オールド・デリーは庶民的な街であり、屋台の出店が並んでいたり牛が道中を歩いていたり、コルカタやバラナシのような混沌とした雰囲気が残っています。

そんな古風さと清新さを併せ持つデリーは、街をブラブラするだけでも充分楽しめるでしょう!次に、魅力いっぱいのデリーの観光プランについて伝授致します!これから行かれる方は、是非参考にしてみてください♪

デリー観光の定番プラン〜ガッツリ1日満喫編〜

今回のデリー観光は、レッドフォート→ミーナバザール→ジャマーマスジッド→コノートプレイス→クドゥブミナール→フマユーン廟→インド門 というルートで丸一日かけて廻ります。それぞれの観光地の魅力についてザックリと紹介します!

①デリー屈指の世界遺産 レッドフォート(AM10:00)

まず最初に、インド観光の目玉”レッドフォート”。この建物はタージマハル建設者であるシャー・ジャハーンが、アグラからデリーに首都を戻すために建設しました。建物の正式名称は、シャー・ジャハナードなので自らの名を建物名に冠しています。

また、敷地内には貴族や外国の大使などの要人との謁見の場としてつくられた宮殿のような洋式建築物がずらりと並んでいます。今では、インド独立記念日の首相演説をここで行うことになっており、レッドフォートはまさにデリーの人々にとってランドマーク的な存在だと言えるでしょう。

②インドの浅草 ミーナバザール

(AM11:00)

こちらは、デリーで最も大きな商店街”チャンディチョーク市場”です。オールドデリーを象徴する場所とも言えるでしょう。屋根付きの屋台がぎっしりと並んでいます。衣服や野菜、電化製品など様々な日用品が売られています。

ここは地元の庶民が多く利用するため、観光客を狙った詐欺やぼったくりなどはそこまでなかった印象でした。そのため、比較的適正価格でお買い求めできるのでお土産など買い物される方は是非オススメです。(もちろん価格は要交渉)

③国内最大のモスク ジャマー・マスジッド(AM12:00)

ジャマー・マスジッドは、最盛期のムガル帝国が5000人の労働力と14年の歳月を要して建設したモスクです。このモスクの正式名称は「世界を見渡すモスク」という意味があり、その名前が当時の帝国の大胆さを象徴しているように思えます。

インドには2億人近くイスラーム教がいます。インド最大のモスクと言うだけに、ヒンドゥー教国家とは思えないほど、たくさんのイスラム教徒でごった返していました。顔を布で覆った女性やイスラム帽を被った男性が多く集まり、沐浴・礼拝している姿は、滅多に見られない貴重な光景でしょう。

④ニューデリーのランドマーク コノートプレイスでランチ(PM14:00)

午後の観光を前に、お洒落なレストランが集う”コノートプレイス”にてランチを挟みます。今回は、南インド料理の有名店”SARANABHAVAN”に行ってきました。観光客だけでなくインド人からも評判が高く、本場のインド料理を楽しむことができます。

コノートプレイスは、セレクトショップ、外資系チェーン店が多く立ち並ぶショッピング街なので、デリー 観光には是非とも行っておきたい場所です。詳しい情報は、以前公開したこちらの記事を参考にしてください!

⑤800年以上の歴史を誇る首都デリー生誕地 クトゥブ・ミナール(PM15:00)

今から800年前、当時の武将クトゥブ・ウッディーン・アイバクが、ヒンドゥー教勢力に戦勝し、デリーを都とするインド最初のイスラーム王朝を築き上げました。この戦勝を記念して、モスクが建てられたのです。デリーはここを中心に繁栄の歴史が始まったわけです。

建物の模様を凝視してみると、回廊に動物の絵柄が描かれてあったり、偶像禁止が原則のイスラム教の建造物とは思えません。これは、王朝を築く際に多くのヒンドゥー教の建物を破壊し、モスクを建てるための建材として使用したからだと言われています。イスラム教の建物にも関わらず、このように様々な模様が組み込まれているほか、高さ70m以上にも及ぶミナレットも魅力的です。

⑥ムガル帝国終焉の地 フマユーン廟(PM16:30)

既視感のあるオブジェが映るこちらの建物は、タージマハルの模型を表した”フマユーン廟”です。フマユーン廟とは、ムガール朝の第2代皇帝(フマユーン)の霊廟です。外観はさながらタージマハルですが、王妃が皇帝のために建てたので、王妃の霊廟であるタージマハルとは逆の構図になります。また、タージマハルは真っ白い大理石を使っているのに対し、フマユーン廟は遺跡の大部分を赤い砂岩が占めています。

インドでは、18世紀頃からイギリスによる植民地化が進み、19世紀末にはそれに対抗してインドの人たちはインド大反乱を起こしました。反乱に敗れた皇帝が息子たちと一緒に逃げ込んだのが、フマユーン廟でした。しかしイギリス軍に捕まってしまい、逮捕をきっかけに帝国は滅びます。つまり、フマユーン廟はムガル帝国が最後に幕を閉じた場所でもあるのです。

⑦勇士達の慰霊碑 インド門(PM18:00)

最後は、ニューデリーの真ん中にあるインド門。第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士およそ約8万5千人を追悼するために造られた慰霊碑です。門の壁面には、戦死したインド人兵士の戦没者の名が刻まれています。

ここは現在、市民の憩いの場として広く開放されており、子供たちや家族連れ、若いカップルなどたくさんの人たちでびっしりとごった返していました。

デリー観光の穴場〜個性豊かな寺院編〜

デリー観光として挙げられる人気スポットは、上記で紹介したような観光地が中心になります。しかし、デリー市内には、個性溢れる寺院が点在します。それぞれの寺院において、オブジェやカラーが大きく違っており、寺院を巡るのもまた一つの楽しみ方であります。今回は数ある寺院の中でも、3つの人気の寺院を紹介します!

① ロータス寺院

photo by Arian Zwegers

シドニーのオペラハウスを彷彿させるようなこちらの建物は、19世紀のイランで誕生した宗教”バハーイー教”の礼拝堂です。タージマハルと同様、白い大理石で造られた本堂と、周囲に広がる青い池は、夜のライトアップ時に大変美しく映えます。デリー観光の締めにピッタリのスポットでしょう。

アークシャルダーム寺院

photo by Ninara

ヒンドゥー教の一派が2005年に建てた新しい寺院です。世界中から8000人近くのボランティアを動員して壮大に創り上げて、世界一大きなヒンドゥー教の寺院としてギネス認定されました。また、鉄やコンクリートを一切使うことなく、ラジャスターン州産の良質な砂岩とイタリア産の大理石のみで建設されており、壮大且つ豪華な建築美に引き寄せられます。

③    ラクシュミーナーラーヤン寺院

photo by PIVISO

あらゆる階級の人々が参拝できることを条件として、ガンジーによって開かれた寺院です。寺内にはヒンドゥー教の最高神の一人であるヴィシュヌ神の化身ナーラーヤンと、その妻が祀られています。インドでは祭事が定期的に行われますが、この寺院がその舞台になることが多いので、インド人にとって所縁の深い大切なお寺にもなっています。

最後に

デリーの観光についていかがでしたか?
デリーは交通インフラが充実しているため、基本的にはどこの観光地にも気軽にアクセスすることができます。上記のプランを参考の上、デリーに数泊滞在される方は是非色んな観光地を廻ってみてください!また、空港到着出発の空いた時間やトランジットの時間といった短時間の滞在でも、市街地まで足を運んでデリーの魅力に少しでも触れてみてください!