フォクナからのメッセージ -プリーのサンタナこうじ終わってきれいになりました-

サンタナロッジのオーナー、
フォクナからのメッセージです。

みなさん ナマステ。ひさしぶりです。
ながくなるけど、さいごまで、よんでください。

やっと プリーのサンタナこうじ 終わって きれいに なりました。

こうじちゅう、うるさかったけど みんな
とまって おうえんしてくれて
本当に ありがとうございました。

1952年に プリーのサンタナ、
お父さんが、つくりました。

今のプリー サンタナは、私たち 家族の家だった。

さいしよ、お父さんは プリーのC. T. ROAD
駅から ちかい ところで がいこく人むけの
guest house はじめた。
そのとき おうべえ人のお客さん、いっぱいで
日本人の お客さん すくなかった。

そのとき、インドは ちょうど どくりつして
まだそんな たってなかった。
プリーは、4だいせいちの ひとつなので
せいふは、あんまり 外国人のお客さん いれて ほしくなかった。
でも、お父さんは

「せかいは ひとつ。
   どんな、くにの人も、みんな いっしょ。
   お客さんは かみさま」

そう おもって プリーのまちの人、言うこと
きにしないで、お客さんのこと いちばん、だいじにして じぶんの やること やってました。

ながく がんばったけど まわりから言われたり
いろいろ、たいへんなことあって、
いっかい guest house stop することになった。

今の サンタナlodge 私たちの家でしたけど、
そのとき ちかくまで、どうろ なくて
まわり すな ばっかりで さばくみたいだった。

ちかくに家も そんな なくって
たいへんな ところでした。

そのとき、サンタナのお客さん
いなくなったので  すごく ざんねんだった。
お父さんも かなしみました。

けど まえ とまった 日本人のお客さんは
家まで わざわざ お父さんに あいさつしに、
会いにきてくれて、家に とまりました。

そこから プリーにくる 日本人は、
みんな 私の家に、とまるようになった。

そうやって、いつのまにか、
インドで はじめての、日本人やどが
しぜんに、できていきました。

そのとき 私のお兄さんの クンナさん、
10さい ときから 日本語おぼえて
学校 行きながら お父さんのguest house
仕事を てつだってました。

今のサンタナは、お兄さんのクンナさん10年。
次男のお兄さんの ツンナさん10

そのあと 私の ばんがきた。

私も、ずっとguest houseにいて、
日本人のお客さん 大好きになりました。

お父さんが つくった サンタナの ゆめは、

インドたびする日本人が  インドのなかで
いつも、あんぜんで、あんしんして  たびできること

そのため デリー バラナシー コルカッタに
してん、つくることに なりました。
この guest house  かく 支店あるおかげで
たくさんの 日本人が、あんしんして、
たび できるように なりました。

たくさんの、してん できたけど
お父さんが はじめた、さいしょの サンタナ。
プリーのサンタナは、だんだん ふるく、
なってきたので きれいに しました。

60ねんまえから はじめた インドでさいしょの
日本人やど。

いっぱい、おもいで つまってる けど
やっと きれいに できました。
むかしの ままの ドアや まども  少しのこってます。

お父さんと、いっしょに がんばった、お母さん、
私たちきょうだい。
そして、むかしの 日本人のおかげで
サンタナ できてます。

こんどは、これから インドくる 日本人のため
がんばりますので みなさん  おうえん してください。

であいこそ 人生

ぜひ みんな プリーサンタナ きてください。
私まってます。

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