タージ・マハル入門 5つの「実は・・・」
インドに初めて訪れる時。
タージ・マハルとガンジス川はとりあえず訪れたいという日本人は多い。
今回はタージ・マハルの概要ではなくちょっとした「実は・・・」を5つ紹介したい。
①デリーにあるわけではない
タージ・マハルが国際空港があるデリーのすぐそばにあるわけではない。
だが実際はデリーから南の方向180キロの方向のアーグラにある。
180キロと言えば車のメーターの最高時速として表示されているスピード。
そのスピードで行けば1時間でつく。
原チャリで時速60キロで3時間。
東京から静岡までの距離が180キロなのでそれくらい離れている。
ちなみにアーグラから西に220キロにピンクシティの名で親しまれるジャイプルがある。
これらデリー・アーグラ・ジャイプルでインドのゴールデントライアングルと呼ばれている。
②ヒンドゥ建設ではない
インド人は皆ヒンドゥ教で、誰も牛肉を食べないと思っている日本人に実際に出会ったことがある。
実際にそんなことはない。12億を超えている人口の80.5%がヒンドゥ教徒である。
その他イスラム教、ジャイナ教、シク教、キリスト教、ゾロアスター教など様々ある。
インドにおいては複数のイスラム王朝が支配した歴史がある。
タージ・マハルも実際はイスラム王朝のムガル帝国皇帝によって建設されたものである。
もちろんイスラム建築でありそのドーム状の屋根が象徴的である。
③こじんまりしていない
ご覧のようにタージ・マハルは圧倒的にプロポーションが良い。
このプロポーションの良さが時に人の目をくらませる。
3、4階建てくらいの高さに見えてしまう。
だがそんなことは全くない。
タージ・マハル本体は横57メートル、奥行も57メートル、てっぺんまでの高さは58メートルある。
実に20階建てビル程の高さあるのだ。
均整がとれているのでその大きさを見誤るのかもしれない。
品の良い美しさとプロポーションが保たれているが馬鹿でかい建物である。
④愛妻家ではあるが、、、
自分の妻のためにこれほど大きなものを建造した皇帝、シャー・ジャハン。
その建築費用は国家財政を揺るがすほどだった。
そのために自分の息子に幽閉されてしまったくらいだ。
そのような事態になったとしても建造したかった程強い愛だったとも言える。
同時に自分が幽閉されることや国家財政圧迫していることを見えなくする盲目の愛だったのかもしれない。
どちらにしても余程強い愛情があったのだろう。
だが、それほど強い愛情を持ちながらちゃっかりハーレムはハーレムで持っていたのだ。
⑤宮殿でなくお墓、厳密に言うとお墓でもない
1653年に完成したと言われるタージ・マハル。
ヒンディ語でマハルは宮殿という意味がある。
その建築美から宮殿にと思っている日本人は多いようだ。
だからか「実はお墓のようなものなんです」と説明する現地ガイドは多い。
実際は「墓廟(ぼびょう)」であり、お墓に付随する建物になる。
実際の墓石は地下にある。
ムムターズ・マハルのお墓に付随する建物がタージ・マハルであるのだ。
なので「お墓のようなもの」という歯切れの悪い説明になる。
ちなみになぜタージ・マハル(宮殿)という名前がついたのか。
タージ・マハルとは ムムターズ・マハルの名前が縮められたものある。
「宮廷の冠」を意味するのだ。
ちなみにシャー・ジャハーンは「世界の王」の意味である。
帝国の領土拡大や宮廷政治に精を出していた「世界の王」とまで呼ばれていた皇帝。
しかし、亡き妻の墓廟のためにその息子に閉じ込められ人生の最期を迎えた。
後々の行く末を考えない程の思いで突き進み建設したのだろう。
だからこそ我々はその恩恵に預かれるのかもしれない。
と同時にそうであればこそ皇帝とその皇帝に愛された妃の物語が世界の人々の中で生き続けるのかもしれない。
タージ・マハル観光のススメ
知っている人は何も新しいことはない5つをまとめてみた。
ただどこの観光でも興味を持ち知識があればより楽しめることは間違いない。
それぞれ
①インドの地理について
②インドの宗教や歴史について
③イスラム建築や建築美
④愛について
⑤人生と熱き思いについて
深く知るための入り口になっているかもしれない。
書物で調べたり、思いを馳せたりしながらのタージ・マハル観光は如何だろうか。