インドに逃げてみた(家出感覚で…お母さんごめんなさい)
みなさん、ナマステ。
「逃げる」という言葉を聞いて、どんなイメージを持ちますか?「負け」ですか?「弱い」ですか?
以前の私はそうでした。でも今は、私の中の「逃げる」のイメージは大きく変わりました。
前に、インドへの気持ちをこのブログに綴りました。
今回は別の視点で、自分のインド体験をつらつらと書いてみようかなと思います。
①インドへ逃亡
大学を休学してまでインドへ行った理由はいくつかあります。
インドの教育を勉強したかった、という理由が1番ですが、日本からの逃げという理由もありました。
前にも書いたように、小学校のころから学校が嫌いでした。
日本で生きる窮屈さ、めんどくささ、自由の無さに、「こんなところにいたら死ぬ」と思ったこともありました。
そして、「ストレス社会」と言われる日本の社会。自殺者も多い。
こんなところで働くくらいなら、無職で良いと思いました。
「日本の教育を変えたい」と思っていた反面、「こんな社会にいたくない」という思いもありました。
②インドでの生活
インドは、日本よりも自由で、人とのかかわりも多く、居心地の良い場所でした。
道を歩けば声を掛け合い、知らない人同士でも助け合う。そんな、人間の温かさに囲まれて生活していました。
インド人だけでなく、多くの日本人にも出会いました。
様々な境遇の人がいて、日本にいたら絶対に接点もなく、出会えなかっただろう面白い人たちとのつながりができました。
インドでは、たくさんの出会いと別れを繰り返し、新しい視点や考え方をもらい、人生の宝となる貴重な経験をしました。
日本なんかに帰りたくない、毎日そう思っていました。
③帰国後、すぐに始まった教育実習
教員を目指す私は、帰国後は大学に戻りました。
そして帰国後まもなくし、小学校での1か月の教育実習が始まりました。
1年間日本から逃げていた私が、子供たちになにか教えることなんてできるのか。
そもそも、日本で働くことを拒絶していた私が、学校の中で生きていけるのか。
どうせ、楽しくもない環境で1か月終えるんだろうなと思っていました。
でも、子供たちを前にして、今までの不安はなくなりました。
こいつらのために、私ができること、全力でやろうと奮闘する自分がいました。
インドでの経験も、活かすことができました。
子供たちも、私を全力でサポートしてくれました。
そして、学校はこんなに楽しいところなんだと、教えてくれた先生がいました。
子供たちと先生方から、私が小学校6年間で学べなかったことを、10年越しに教わった気がします。
でも。きっと、インドへ逃げる前の自分だったら。
こんな風には思えなかった。
日本から1度出ている今だからこそ、感じることができた。
そして実習の最後に、子供たちに話しました。
自分がインドでやってきたこと。日本から逃げたこと。
そして、今の想い。
私は日本が嫌いだった。
日本で働くなんてくだらないと思った。
でも、みんなと出会えたように、学校にはこんなに素敵な奇跡が起こるなら、日本の学校で働くのも悪くないんじゃないか、と。
みんなのおかげで日本が大好きになった、と話しながら、不細工な顔で涙を流していました。
そして、子供たちに、日本から逃げた話をしたとき。
1度、日本から逃げた経験があるからこそ見えた景色。
「逃げる、の意味がわかった」「逃げて良いとき、戦わなくちゃいけないとき。これをしっかりと見極められるようになりたい」と、子供たちは言ってくれました。
「逃げる」を経験した私。
「逃げてよかった」と心から想う。
なんだか、インドへの想いが、今までモヤモヤしていたものが、すべて腑に落ちた感じがします。
そして、それと同時に、私の人生の中の”インド編 第1章”が完結したようで、すこしさみしくも感じる。。。
「逃」…意味:難を避けて立ち退く。瞳を大きく開く。