エキササイズか哲学か 前編 ~武器は屁理屈!?坂本のふむふむヨガ問答~
ヨガがよくわからない
さてインドヨガ留学のコーディネートをしていて100人以上のヨガに取り組む方に出会ってきました。もちろんそういった方々はヨガを学ぶために遥々インドにまで来ています。他の人達より、ヨガに興味があるでしょう。
それでもヨガ=アーサナと思っていたり、呼吸法や瞑想があることを知らなかったりする方も中にはいらっしゃいます。
といっても私自身、母がヨガの先生で日常的にもヨガする母を見てきたにもかかわらず、自分で始めるまでヨガのことは全然わかっていませんでした。
- とりあえず綺麗なポーズを決めるもの。
- でも何か宗教っぽいもの。
- でも最近は若いお姉さん始める人も増えているらしい、もの。
なんとな~くそんなイメージでした。
多くの人のヨガのイメージ
ヨガに興味を持ってインドに来る人やヨガの先生の母を持つ私ですらそうだったのです、特にヨガに触れてきていない人でこんなイメージ持つ方々は・・・
身体がぐにゃぐにゃになるもの。
(だからちょっと身体が硬い人がヨガやってると言うと、「え!ヨガやってるのに!?」みたいなことを言われます。)
セレブの女性が美容健康のためにするもの。
(ヨガやっていると言うと「意識高いね。」という人もいます。)
インド人の髭モジャモジャのおじさんが山奥でやっているもの。
(「悟った?」と聞いてくる人がいます。)
手が伸びたり火を吐けるようになるもの。
(実際、「手伸びる?」と聞かれたことあります。。。)
一番最後のは伝説的ゲーム、ストリートファイター2以降のダルシムと言うヨガ戦士キャラクターのためです。
最近では、特にアーサナをする人が爆発的に増えたことによって
「身体を柔らかするもの」
「難しいポーズを決めるもの」
「それらのためのエキササイズ」
というイメージがより大きくなっているかもしれません。
ヨガ≠エキササイズ
ルチカも古代の経典であるヴェーダからのヨガについて書いてくれていますが、他方でヨガがエキササイズとは全く別物という意見もあります。
- 自分が何かを知るためのツール
- 生きるための技術
- スピリチュアルなもの
- 古代インド哲学
- 深淵なる悟りへの道
といった言葉も同時にあります。
ヨガはやっぱりエキササイズです!ということならこんなブログ書かないわけです。では哲学だとしてもです。私はここで
「ヨガはエキササイズみたいな表面的なものじゃないもんね!」
「私はもっと深いことに携わってるんだもんね!」
といったことを言いたいわけではないんです。
そもそも「哲学」がわからない
ヨガなどの東洋哲学だけでなく西洋の哲学においても、哲学という言葉の周りにはちょっと独特な何かがある気がします。
- 何と言うか知ってる人だけ知ってる感。
- 私は色々なこと勉強してるんだぞ、という匂い。
- 知っている人同士しか話せない雰囲気。
- 難解で良くわからない専門用語に次ぐ専門用語。
こんなものがあるような気がしてなりません。
ともあれ、「ヨガは哲学です」と言ったとしてもそもそも哲学と言うのが難しくてよくわからんわけです。なので一旦、そもそも哲学とは!ということを簡単に考えてみたいです。
といっても哲学なんて門外漢もいいところ。「簡単に」語るなんてできません。
ネットで調べる、まずはウィキペディア!
なので、まずはウィキペディアで調べてみました。
哲学は、語義的には「愛智」を意味する学問的活動である。観念論的な形而上学に対して、唯物論的な形而上学もある。諸科学が分化独立した現在では、哲学は学問とされることが多いが、科学とされる場合もある。
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やはり、さっぱりわかりません。
ヨガが哲学かどうかの前に哲学の意味が分からないのです。これではヨガが哲学かどうかを考える以前の問題です。
まずは哲学が何なのか、を少し紐解かなければヨガのことも語れなくなってしまいました。そこはちょっと長くなりそうなので、続きは次回にします。