フォクナさんに突撃インタビュー!!! サンタナ歴史編

①サンタナの歴史編

今回は、サンタナロッジのオーナーであるフォクナさんに”サンタナの歴史”について赤裸々に語ってもらいました!

外国人レストランとして開業

サンタナは、実はもともと外国人向けのレストランだったのです!!!

・サンタナ(60年前)。看板の文字をよく見ると、”SANTANA RESTARANT”と明記されています。

サンタナの歴史は、遡ること60年。当時のインドはイギリスの占領から独立したばかりで、外国人に対する印象も悪かったと言います。

また当時は、お皿じゃなくて葉っぱに食事を載せて提供されたり、スパイスの効いた食事が多くて口に合わなかったり、ビーチでテントを張って宿泊するなど、外国人がインドで観光したり生活するのが大変だったと言います。

その光景を目の当たりにしたフォクナさんのお父さん”ダッシュさん”は当時司祭でありながら、外国人向けの飲食店を始めて、ホームステイのような感覚で外国人を泊めるようになったのです。これがサンタナの始まりです。

しかし当時は、西洋的なものに対して排斥を訴えるプリーの人々から批判を受けて、一時は外国人宿の存在がテロの誘因になると言われ、警察官50人に押し込まれることさえもありました。

いつの間にか日本人宿に変貌

インドの経済的な発展やヒッピーの流行に伴い、プリーは観光客で賑わうようになり、やがて各地に外国人用のゲストハウスができるようになり、サンタナも熾烈な競争に晒されます。

しかし、ダッシュさんの厚いおもてなしは、昔泊まっていた日本人がリピーターとして再度インドに訪問するようになり、日本人旅行者の間でも口コミで広がるようになっていき、日本人がだんだんと泊まりに来るようになったそうです。

そして、ゲストハウスのオーナーの座が、ダッシュさんからフォクナさんの兄”クンナさん”に引き継がれました。そして、クンナさんが日本語を習得したことで、本格的にサンタナは日本人宿として機能するようになりました。つまり、もともとは日本人宿として開業したわけでなく、自然発生的にできたのです。

サンタナ(45年前)。井戸水でシャワーをしたり、料金はだいたい4ルピー/泊だったとのこと。

・サンタナ(45年前)。井戸水でシャワーをしたり、料金はだいたい4ルピー/泊だったとのこと。

成長していくサンタナとゲストたち

幾多の試練を乗り越え、日本人が楽しく安全に泊まれる宿へと成長しました。

・幾多の試練を乗り越え、サンタナは日本人が楽しく安全に泊まれる宿へと成長しました。

その後、フォクナさんの次兄”トゥンナさん”が引き継ぎ、15年前には”フォクナさん”がサンタナオーナー4代目になりました。日本が大好きなフォクナさんは、インドで困っている日本人観光客を助けたいという想いから、バラナシデリーコルカタにも宿を展開するようになりました。また、インドに来る日本人を増やしたいということで、5年前には日本国内(京都)にもサンタナを作りました。プリーでも、ヨガ留学を開始して現在に至るまで多くの日本人女性が来るようになりました。

さらに、サンタナでの滞在をきっかけに、価値観の変化や人との出会いを通して、人生の転機を掴んで新しい挑戦をしているゲストがたくさんいます!

・サンタナ宿泊者の帰国後の活動・ 
沖縄でゲストハウス開業、石川でインド料理店開業、高円寺で旅人向けのカフェの開業、インドでドラム教室開業、ヒマラヤの洋服屋、BAR・・・etc.

このように、サンタナはゲストと共に成長を続けています!残り約2週間しかないですが、私もサンタナで今後の人生に活きる経験をして、日本に帰りたいと思います!!!

最後にフォクナさんからのメッセージを載せておきます!

フォクナからのメッセージ -プリーのサンタナこうじ終わってきれいになりました-

次回はサンタナ未来編について書きまーす!