今日も明日もヨガをする。~なみちゃんのインドヨガ留学体験談~
2019年12月生として、インド・プリーのヨガ留学に参加してくれたなみちゃん😊
本人も言っている通り慎重な性格というのを、私が初めて会ったときから感じました(笑)
そんななみちゃんが、プリーでの45日を通して、どんどん表情が柔らかくなり、
出ているオーラが明るくなっていくのが見ていて分かりました。
ルチカ先生のヨガ哲学の授業、いつも目の前で聞いてくれていたのを覚えています♪
なみちゃんの体験談からは、ありのままの自分を受け入れていく様子が伝わってきます。
そして今でもヨガを続けているというなみちゃんを誇りに思います✨
それでは、なみちゃんの体験談をどうぞ!
日常生活ついて
■食事
ロッジでは日本食のメニューが豊富だし、クリスマス料理に年越し蕎麦、正月の雑煮など色々工夫をこらしてくれて、インドにいながら日本の年末年始気分が味わえた。
スタッフがオススメしてくれるお店はどれも外れがない。カレー、フレッシュな果物、市販のお菓子など格安屋台から高級レストランに至るまで様々な味が試せて大満足 !!
正直インドの食事に期待をしていなかったので、これは嬉しい誤算だった。胃腸が弱いため、インド料理では即お腹を壊すと思い、薬をたくさん持って行ったのに、なぜか平気で不思議だった。慎重な性格が幸いしたのだろうか。
インドで日本の調味料や食材を用意するのは本当に大変なことだと思う。用意してくれた方達には感謝しかない。
■生活
インドで悩まされたのは【蚊・騒音】である。
12 月に入って気温が下がっているにもかかわらず、ずっと蚊がいた。
数は徐々に減ってはいたが、蚊に刺されやすいので、地味に辛かった。
移動中でもどこでも眠れるし、図太いタイプだと思っていたけれど、毎日のヨガで疲れているはずなのにあまり熟睡できていなかった。夜な夜な繰り広げられる野良犬たちの仁義なき争い?なのか吠える声、爆音で流れる音楽、人の話し声など、耳栓していてもなにかしらの騒がしい。朝は牛の鳴き声で目覚めたことも(笑)
基本的にインドには静けさというものがない。
アーサナついて
ヨガ歴は長いのにたまにしかやらない上に、長年のデスクワークで身体はめちゃくちゃ硬かった。
ヨガに出会った時は、安楽座もとれないほどだったので、随分マシになっていたけれど、タームの中ではトップを争う硬さレベル。
プラカーシュ先生にも「カタ〜い(笑)」とイジられていたけど、恥ずかしいのは今に始まったことではないので、先生をイジり返す余裕はあった。
とはいえ、ヨガはほぼ初めてと言っている人たちがバッチリポーズをと
れているのを見て物悲しさがなかったとは言えない。
鈍った身体に、朝夕 2 時間のアーサナ。最後まで体力がもつか心配だった。インストラクター役までなんとかやりたかったので、少しでも不調を感じたら授業を見学した。誰より休んだにも関わらず、結局 2 度も寝込んでしまった。
加えてプリーは冬の真っ只中。朝晩の冷え込みで、鼻炎持ちの私は最高潮に鼻を詰まらせていた。呼吸が命のアーサナの授業では致命傷。レッスン中、鼻ばかりかんでいた犯人は私です…。
ヨガ哲学とワークショップ
ヨガ哲学に興味はあったものの、スピリチュアルについて「宇宙」「魂」といった薄っぺらい情報、何となく怪しいというイメージしかなく、私の頭が宇宙の彼方へ飛んでいったらどうしよう…と思っていたが、杞憂だった。もちろん「???」となった時もある。睡眠不足もあって内容によっては何度かうとうとしてしまった。
毎回、先生の真前に座ってやる気は十分なのについていけない私の頭。当然先生にもバレバレだった。やる気がないのかあるのか分からない謎の態度で先生すみません。
深くて難しいヨガ哲学をルチカ先生はかなり噛み砕いて話してくれるので、現実世界でも活かせるように例え話で。すべてを受け入れられてはいないけど、純粋におもしろかったし、毎回授業の間に刺さる言葉があり、授業後も考えさせられた。
究極的に言うと、他人が自分をどう思うかは、
自分の人生には関係ない。
初日にルチカ先生の言葉に、いきなりガツンと頭を殴られた気がした。
【抑圧】
幼い頃から手のかからない子だと言われて育って、反抗期もなかった私は社会人になってから人生の節目節目で躓き、優等生から問題児へと変貌した。『自分には何が欠けているんだろう?このまま生きている意味あるのかな?』
と漠然と将来が不安だった。インドでのワークショップとヨガ哲学は、そんな考え覆してくれた。
×自分は問題があり、生きてる価値がない。
○自分には生きてる価値がないと捉える思考に問題がある。
おかしいのは、私の存在そのものではなく、【何かが出来てない、手に入れてない】ことくらいで、自分の存在価値が揺らいでしまう自分の考え方だった。仕事で褒められたり、誰かから必要とされたり、他人に認められることでしか生きてる実感を持てなかった。人の期待に応えることは、自尊感情の低さを覆い隠し、自分の存在を証明する手段だった。だから頑張れなくなった時ひどく自分を責めてしまった。
私のネガティブは嫌な状況があって、一時的に陥っているだけだと思っていたが、とんだ勘違いだった。幼少期からコツコツしてきた抑圧貯金の代償を大人になった今払っている。インドに行ったくらいで物事の捉え方が魔法のように変わるわけがない。
アーユルヴェーダの診断で幼少期について、性格、行動、両親や姉妹との関係性までやけに細かく聞かれたことを思い出す。
「両親からもっと愛情がほしいと思ったことはあるか?」と問いかけられて、言葉に詰まってしまった。認められたいのは、両親にもっと愛されたい気持ちの裏返し。心のどこかで、期待に答えないと愛してもらえないと思い込んだまま、大人になった今でも寂しかった気持ちを引きずってしまっている。
振り返ると子どもの頃から身体に色々問題が出ていたことを思えば、元々メンタルは弱かったのに、見せないようにしてきた。外側は武士で、メンタルは絹ごし豆腐なみに脆かった。
鋼鉄の鎧は、社会で生き抜くためのの処世術、長く被りすぎて、身に付けていることすら自分でも忘れてしまっていた。
悲しいのに笑ったり、傷ついているのに誤魔化したり、不安なのに平気なふりをしたり、些細なことに凹む弱い自分が嫌で、自分の感情をきちんと味わおうとしてこなかった。息を吸うように嘘を重ねたことは、心のコントロールではなく、ただの抑圧だった。「抑圧をしてこなかった人間はいない。」とルチカ先生は言う。ネガティブ思い込みが多い私は、抑圧が人より多かったのかもしれない。トリガーでさらに思い込みが強化され、自分はダメなんだと自己否定する。
「抑圧したことで、損をしたのは誰なのか?」
ルチカ先生のヨガ哲学より
ぐうの音も出ない。私は、自分が損をして失敗しを認めたくなかった。誰かのせいにして、許さないでいた方が楽だから。
【ネガティブ】
日本にいる間、ちまたの自己啓発を受けて、「感謝」「笑顔」「与える」を実践していた。調子の良い時は問題なかったが、状況悪くなった時、心身のバランスを崩して何もできなくなった。それは本当のポジティブではなくエセポジティブだった。穴の開いたペットボトルの水を他の人に分け与えて、空っぽで容器もボロボロだった。内側と外側の気持ちがかけ離れすぎると人間は狂ってしまう。だから、インドでの私はネガティブであることを当初から晒していた。基本根暗だし、愛想もない、化粧もおしゃれもしないし、自分をよく見せようと取り繕わない。
Q. ネガティブな自分を晒して生きるとどうなるか?
A. 好かれません。
ありのままの自分でいれば好かれるということでもない(笑)やっぱりポジティブな人の方が好かれやすいのは間違いない。インドに来てまで嘘ついても仕方ないし、偽る気力もなかった。気が合えば勝手に仲良くなるし、どうしたって分かり合えない人はいる。素の自分だろうが、猫被っていようが、嫌う人、批判する人はどこにいたって現れるのだから、自分を押し殺すことに意味なんてない。同時に欠点を面白がる人、許してくれる人も確かに存在しているのだ。
それを受け入れて、マイペースに過ごしていたら、逆に話しかけやすい雰囲気なったと言われるおまけが付いてきた。人見知りが頑張ったところで、会話する時、無意識に力んでいたんだと思う。
けれど坂本さんとの面談で、「シェアリングの時、言葉ではすごく吐けているけど、いつも俯いて話している。身体がみんなを向いていない。」と教えてもらった。私は優等生仮面のまま、意味ある・価値あることを言おうとしていなかったか、本当に腹から話していただろうか。できることはやりきったと思っていたけど、今となってはなんだか自信がない。
だから最後のシェアリングはなるべくみんなの顔を見ながら話しようと決めていた。しかし、話の途中で突然ロッジの側で始まった工事の轟音にかき消されてしまうのであった(笑)これぞ、インド。
日本に帰国してから
インドに行っても結局私の根本は変えられなかったし、次の展望も見えないまま、渡航前に想定していた最悪のパターンで帰国した。それでもインド行ったことに後悔はしていない。手にしていたものを失ったことより、そこでしか味わえなかった経験・知識を得られた喜びが勝るし、出会えた人たちは財産でしかない。
インド滞在中の怪我を放置して悪化させてしまったり、心だけでなく、身体の痛みにも相変わらず鈍感だ。アーユルヴェーダの診断で「心をオープンにしろ」と言われたのに去るものは追わない上、来るものを拒む時もある。
ネガティブなままだし、自分の機嫌も取れない、抑圧する癖も治ってないし、漠然とした不安にまみれる時もある。
原因はコロナだからじゃない。お金も仕事も関係ない、目の前の悩みは根っこの自己否定からくる不安を映し出しているだけだと気づいている。それでも、どんなダメな自分にも○をつけて生きていくしかない。
インドに行けば勝手に変化するわけじゃない。坂本さんやスタッフが何かスゴイ自分に変えてくれると期待してはいけない。プログラムを終えて知識を得ても、実生活に活かせなければ意味がない。
今日も明日もヨガをする。笑顔にはなれなくても落ち着くことならできる。ヨガをやるといっても、呼吸法は強制的に吐き出すものばかりだったり、雑念だらけの瞑想、基本的に怠け者なのでアーサナは気分が乗らないとやらなかったりする。それでも自分の心と身体のために、嫌にならない方法で毎日やり続ける。たとえ今やっていることが何につながるのかも分からなくても。
いつ / どこで /誰と / どんな時間を積み重ねたいか
インドで問われたこの答えはまだ出ない。が、自分の価値観から外れた選択をしようとした時の違和感がどんどん強まっている。好き・嫌いもハッキリしてきた。自分の人生において大切なことは案外少ない。その中で大切にしたい人、時間・物をさらに見極めている。笑顔になろうとするのではなく、不機嫌にならない選択をする。空腹なのか満腹なのか、暑いのか寒いのか。何を食べ、何を着て、どう過ごすか、日々の選択の中で小さくても自分の機嫌が取れるのはどっちなのか常に考える。と言いつつ、損得や欲望に負けて失敗することも多々ある(笑)意識的に選択する練習はまだまだ時間がかかりそうだ。
インドに行く前は、いつもポジティブで何事に動じない強い自分になりたいと思っていたが、今はそう思わない。いつでも HAPPY♪なタイプでもないし、これからも傷つくし、普通に落ち込むだろう。それでも弱さを吐ける人が周りに増えてきたことで、例え嫌な出来事があって、川に流されても知識と仲間の浮き輪のおかげで浮かんでいられる。いかに川に落ちないかではなく、落ちた時のために浮く練習、助かるためのセーフティーがあれば多分生きていられる。
私を支えてくれるすべての人へ、いつもありがとう。心から感謝しています。
絹ごし豆腐の人生は続く。
おわり。
なみちゃん体験談を書いてくれて、本当ありがとう😊
私もなみちゃんに出会えたことに心から感謝しているよ!
神様ありがとうございます。
いつか京都に遊びに来てね~!待ってます💗
サンタナからのお知らせ
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ぜひご覧ください!
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